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東京高等裁判所 昭和38年(行ナ)194号 判決 1974年4月23日

原告

チバ・リミテツド

右代表者

パウル・バウマンアンドレ・ヘーン

右訴訟代理人弁理士

中島宣彦

被告

特許長官

斎藤英雄

右指定代理人

狩野有

外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を九〇日とする。

事実

<前略>

一、特許庁における手続の経緯

原告は、一九五六年二月一〇日スイス国にした特許出願外四件のスイス国出願に基づき優先権を主張して、昭和三二年二月七日「ピラゾールの製法」という名称の発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願し、昭和三五年一月二六日出願公告がなされたが、同年三月九日S製薬株式会社から特許異議の申立があり、昭和三六年四月一八日拒絶査定を受けたので、同年五月二九日抗告審判を請求した(同年抗告審判第一五〇六号)。特許庁はこれに対し昭和三八年九月二〇日「本件抗告審判の請求は成り立たない。」との審決をし、その謄本は同年一〇月二日原告に送達された(出訴期間昭和三九年二月一日まで延長)。

二、本願発明の特許請求の範囲

α―位置に水素原子を持つα―シアノ―α―ホルミル―酢酸を所望によりその酸および(または)アルデヒドの官能的誘導体の形で、窒素原子と結合した少くとも三個の水素原子を持つヒドラジンと反応させ、所望により、得られた化合物の4―位置に官能的に変化したカルボキシル基がある場合にはこのカルボキシル基を遊離のカルボキシル基または他の官能的に変化したカルボシル基に変え、或は得られた化合物の4―位置に遊離のカルボキシル基がある場合にはこのカルボキシル基を官能的に変え、そして(または)所望により、得られた遊離化合物を塩に変え、或は得られた塩を前記遊離化合物に変えることより成るピラゾールの製法。

三、審決理由の要点

本願発明の要旨は、前項掲記の特許請求の範囲のとおりである。

特許第二六四九一二号は、一九五五年一〇月二七日米国にした特許出願に基づき優先権を主張して、昭和三一年一〇月二六日に出願されたものであり、本願の先願とみなされる。その発明(以下「先願発明」という。)の要旨は、エトキシメチレンマロノニトリルををヒドラジンと反応させることを特徴とする3―アミノ―4―シアノピラゾールの製造法である。そして、本願発明のシアノ置換ホルミル酢酸が先願発明の一方の原料物質であるエトキシメチレンマロノニトリルをその中に包含することは、例えば本願明細書第一頁第一四行から第二頁第六行までに明記されているところから明らかであり、かつ他方の反応成分であるヒドラジン化合物についても両者の間に格別の差異が認められない。したがつて、本願発明は先願発明と同一である。

よつて、本願は、特許法施行法二〇条一項によりなお効力を有する旧特許法(大正一〇年法律第九六号。以下同じ。)第八条により特許することができない。<以下略>

理由

一本件の特許庁における手続の経緯、本願発明の特許請求の範囲、審決理由の要点が原告主張のとおりであること、先願発明の要旨、優先権主張および特許出願年月日が審決認定のとおりであることは、当事者間に争いがない。

二出願公告された明細書によれば、本願発明は審決認定のとおり先願発明と同一発明であること、特許異議申立人S製薬株式会社が昭和三五年六月四日先願発明の存在を示した特許異義申立理由補充書を提出し、その副本が同月二一日頃原告に送達されたことは、当事者間に争いがない。そこで、このような場合、審判官が旧特許法第一一三条第二項、第七五条第五項により訂正命令を発しないで審決したことが違法であるか否かについて判断する。

三旧特許法第七五条第五項は「必要アルトキハ特許発明ノ明細書又ハ図面ノ訂正ヲ命ズルコトヲ得」と規定しているだけであるから、どのような場合に訂正を命ずるべきかは、必ずしも明らかではない。

ところで、旧特許法第七三条第三項によれば、出願公告があつたときは出願にかかる発明につき特許権の効力を生じたものとみなされる。したがつて、審判官が出願公告された明細書または図面につき、同法第一一三条第二項、第七五条第五項により訂正を命ずることができるのは、その訂正が同法第五三条第一項、第三項、第五四条の定める特許権発生後の訂正の要件を備えている場合でなければならない。このように訂正の要件が具備しているときは、特許異議申立の結果、出願公告された明細書によつては出願が拒絶される場合でも、出願人は訂正命令に基づき明細書を訂正することによつて特許を受けることができることになる。そして、旧特許法には、出願公告後に出願人が明細書または図面を自発的に補正することを認めた規定(現行特許法第六四条参照)がないから、出願人は訂正命令があつてはじめて明細書を訂正できるのである。それ故、前述のような訂正が客観的に可能である場合には、審判官は訂正命令を発することを法律上覊束されているかのようにみえる。

しかしながら、このような場合でも、出願人は必ずしも常に明細書の訂正を欲しているとは限らない。出願人によつては特許異議申立の理由が出願拒絶の理由に該当することを争い、あくまで出願公告された明細書に基づいて特許を受けることを求める場合もあり得る。このように、出願人が明細書の訂正を欲しない場合にまで、審判官は訂正を命ずることを法律上覊束されていると解すべきではない。また、前述の要件を備えた訂正の内容は、必ずしも単一とは限らず、幾とおりかになるのが通例であつて、そのいずれを選択するかは出願人の意思に委ねるのが相当である。したがつて、審判官が出願人の意思に関係なくそのうちの一態様を選択して訂正を命ずることを法律上覊束されていると解するのは相当でない。したがつて、客観点には前述の要件を備えた訂正が可能であり、そのように訂正することによつて拒絶を免れることができる場合であつても、出願人が訂正しようとする内容を具体的に記載した訂正案を提出して訂正命令の発令を促した場合でない限り、審判官は訂正を命ずることを法律上覊束されないと解さなければならない(当庁昭和四一年(行ケ)第一四三号昭和四六年四月六日判決参照)。

四これを本件についてみると、出願人である原告が審査および審判の過程において訂正しようとする内容を具体的に記載した訂正案を審査官または審判官に提出して訂正命令の発令を促さなかつたことは、弁論の全趣旨により明らかである。そうだとすると、その余の点について判断するまでもなく、本件において審判官は訂正命令を発することを法律上覊束されていないといわなければならない。したがつて、審判官が旧特許法第一一三条第二項、第七五条第五項により訂正を命じないで審決をしたことは、何ら違法ではない。

五よつて、原告の請求は失当であるから棄却し、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第一五八条第二項を適用して主文のとおり判決する。

(古関敏正 滝川叡一 宇野栄一郎)

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